私の薬剤師回顧録

 このコーナーでは(わりと前に)病院薬剤師だったころに体験したできごとを回顧録として書きました。当時はまだ病棟に出向く薬剤師も少なく患者さんとの交流はほとんどなかった時代でしたが、お話好き、おせっかいやきだった私はくじげずに医師や看護師、患者さんたと直接お話することを積極的に行っていました。今でこそ病棟活動はルーチン化されていますが「薬剤師だからこの業務範囲までがお仕事・・」というふうに自らの行動範囲を縛るのではなく、薬剤師も医師も看護師も他の職種もみんな「正しいと思ったことはまず行動に移す」ことはいつまでも必要な姿勢だと思います。正しいことをまっすぐ行っていれば怖いものはありません。
 ここにある記事のほとんどは古い話ですが、私からの若手医療者さんへのメッセージでもあります。私の「患者さんへの思い」のこもった回顧録をぜひお読みください。Go forward, go straightforward !

もくじ

回顧録16 患者さんとのおしゃべりは副作用の発見につながる!

 以前の薬剤師(20年以上前か)は医療コミュニケーションということに興味がなかったように感じる。それは薬物動態の評価や薬物間相互作用の有無の確認、TDM業務などにおいて医療従事者との医療コミュニケーションは必要であったが、患者との医療コミュニケーションは特に必要でなかったからかもしれないと想像する。ところがその後、薬剤管理指導業務として患者さんから症状の程度や副作用の有無などの症状評価を行うために、患者との医療コミュニケーションにスポットライトが当たり始めた。ちょうど薬剤師業務の変遷にあたり「もの」から「ひと」へ大きく舵をきったころであると認識している。
 それでも患者対応が苦手な薬剤師はおられると思う。かつて後輩の薬剤師からは「初回面談時の対応が苦手です。」とか「症状の確認する際に何をどう話したらいいですか?」とか「不安なことを相談されたときどう答えたらいいか悩みます。」とか、よく相談されたものである。コミュニケーションの語源はラテン語の「コミュニス(Communis)」と言われ、「共通の」「共有する」「分かち合う」といった意味があるそうだ。つまり、相手、医療でいうと医師、看護師といった医療従事者や、さらに患者と情報を共有することである。コミュニケーション技法のノウハウなどと難しく考えずに、どうしたら患者さんの悩みや苦痛を少しでも軽減できるかを自分なりに考えることが重要であり、それが自然と自分らしい会話になっていくと思う。
 私が以前に病棟薬剤師や外来ケモ室の薬剤師として仕事をしていたころの話であるが、患者さんから「A薬剤師さんにはいつも同じこと説明されて嫌やわ。」とか「B看護師さんは決まったことしか質問してくれへん。」などの苦情をきくことがよくあった。もちろん業務として症状評価や副作用の確認は必要だと思うが、質問される方(患者さん)からするとどこか窮屈で不快だったのだなぁとよく感じたものである。そんな時私は後輩の薬剤師や看護師に「会話をしながらこちら側(医療者側)が確認したい内容を含めてみてはどうかな。」と説明をした。私自身が誰かに教わったことではないが、薬剤師と患者間の関係であっても人間同士の関係だと思っていたので、通常の会話の中で症状評価や副作用の有無の確認ができたら理想だなと感じていたからかもしれない。
 例えば、医療者「むかつきはありますか?」、患者「ありません」といった閉じた質問となる会話に対して、例えば前回の聞き取り時に「前回の抗がん剤治療施行後にむかつきあり」という薬歴情報があれば「前回は抗がん剤した後に気分が悪くなったみたいですね。この前の今回の治療では同じようにむかつきはありましたか?」と聞いてみる。すると患者さん自身も「そういえば前回は気分悪くなったけど今回は大丈夫だったなぁ」とか思いだしながら頭の中で情報を整理し答えていただけることもある。
 また患者自身では副作用と感じていない症状も自然な会話の中で発見できることもある。患者さんから「抗がん剤を点滴するとその日はすごく元気になって夜更かしするねん。よく効いているんかな。」という話をきくと、薬剤師ならすぐに、「この患者さんは制吐剤にステロイドが投与されているから、不眠となりそれがこの患者さんにとってはポジティブに感じられるんだ」と判断できると思う。この場合「不眠はありますか?」と聞いただけでは閉じた質問となり、このようなオプション的な内容の情報は得られない。
 限られた時間の中で業務をこなすことが要求される薬剤師にとって患者との「おしゃべり(雑談?)」は無用だと言われそうだが、私はそのことは決して無駄なことではなく副作用の発見だけでなく信頼関係を築くうえにおいていつまでも必要であると感じている。時間の大切さと医療コミュニケーションの大切さとは常に天秤のうえで揺れているように思うが、最近はやりのタイパ(タイムパフォーマンス)だけを追う求めるのではなく、是非医療コミュニケーションスキルを磨いて患者さんのために副作用や苦痛症状の発見に使ってほしい。

回顧録15 多職種で共有できる患者さん情報シートをつくる ~患者さんのために薬剤師ができること、まずは第一歩から!~

 20数年前、薬剤師として外来化学療法室に常駐していた私は本日抗がん剤の注射を施行する患者の受け付けを看護師とともに担当し、「おはようございます。体調はどうですか?」と言いながら患者さんを点滴実施場所であるリクライニングチェアに案内した。担当の看護師さんがバイタルサインを測定し採血する。抗がん剤治療を実施するかどうかは(当時は)血液検査の結果次第だったので、私はその待ち時間を利用して前回の点滴が終了した後の副作用の有無やその後の在宅での状況など聞き取った。「ひと」と話をすることが大好きな私は特技を発揮してお話をしていると、患者さんからは「先週はしんどかったから今日は注射したくないなぁ」、「この前抗がん剤を注射した日は夜が眠れへんかったわ」、「この前から抗がん剤の内容が変わって胸のむかつきがひどくなった気がするわ」と、会話の中に副作用の内容が自然と含まれていたことを覚えている。この頃から、患者さんとの医療コミュニケーションの大事さを体験を通じて感じていた。正確に苦痛症状の程度を聞き取ることで、制吐剤の変更・追加、新規薬剤の追加など処方提案につながったことも多くあった。私は看護師さんに患者さんとごく自然に会話をしながら、副作用の程度や困りごとを聞き出そうと提案し、一問一答の質問(いわゆる「閉じた質問」)ではなく、「開いた質問」を心がけようと常に話していた。
 このように薬剤師の私が看護師と混じって協働するので、薬剤師や看護師の担当者が変わっても患者さんに不安や不快感を与えないように、毎回の体調、バイタル、採血結果、副作用の程度(ここはもちろん、有害事象共通用語規準 日本語訳 JCOG 版による grade 評価)、さらには点滴終了後の注射部位の反応を記録し、申し送り事項をまとめたオリジナルシート、抗がん剤内服の期間や回数の記載をするための「実施カレンダー」や「プロトコル一覧表」を独自に作成した。使っていくうちにいろいろな情報を加えたくなり、最終的にはコストも自動計算できるようにした。
 薬剤師や看護師は別々に患者さんと面談をしながら共通のオリジナルシートに必要事項を記入していった。当時の副作用評価(grade評価)は医療者評価だったが、今だったら患者自己報告の評価(患者報告アウトカム)も取り入れているだろうな、と感じている。また当時から電子カルテが導入されていたので、病院のシステムエンジニアさんに無理をお願いして患者カルテ内にオリジナルシート、実施カレンダー、プロトコル一覧表を組み入れてもらい、院内であればどこでも誰でも閲覧できるようにした。薬剤師として、医療者としてリスクマネジメントの面からいろいろな案を提案したが、その裏にいつもシステムエンジニアの方が支援してくださったからこそ実行できた、と今更ながら感謝の気持ちでいっぱいである;これもチーム医療だ。また毎日、患者の副作用の程度や困りごとなどは多職種間でミニカンファレンスを開いて、医師、薬剤師、看護師ほかで情報を共有した。
 私が行っていたことは今では当たり前になっている風景かもしれないが、その当時では珍しく、外来化学療法での薬剤師の役割をについて学会発表や講演をさせてもらった記憶をいまでも鮮明に覚えている。当時は診療報酬の保険点数はついていなかったが、そこに、目の前に患者さんがおられたから何とかしたいという気持ちだけでも十分なモチベーションになったと思う。最近発表された2024年の診療報酬改定の内容をみて、若手薬剤師のみなさんはどんな感想をお持ちだろうか。私としては、20数年前に取り組んでいたことに診療報酬の点数が付き、「やっとここまできたか」という気持ちと、今まで熱心に取り組んでこられた多くの先輩方・後輩方の努力の賜物だと感じている。これからも医療者の壁を作らずによりよい情報共有がなされるように、薬剤師も声をあげていきたいものである。

回顧録14 電話がとりもつ多職種間の信頼関係づくり

 まだ私が新人薬剤師だったころの話。薬剤科で仕事をしていると頻繁に電話が鳴ってくる。誰が電話に出るかは特に決まっていなかったが、新人の私は、電話が鳴ると「私でもすぐに答えられる質問だったらいいなぁ」と内心思いながら受話器を取っていた。「もしもし、薬剤師の〇〇です・・、はい、はいそうです・・・」と元気に電話に出る。時にはすぐに答えられない医学専門的な問い合わせもあり、その場合には製薬メーカーに資料を頼んだり書籍を調べたりと、電話をしてこられた先生方に正確に、かつ短時間で答えられるように頑張っていたものだ。電話が鳴るたびに「難しい質問を受けたときはどうしよう」とか心配にもなるが、すべて自分の糧になると信じで気後れしないと誓っていた。今振り返るとそのひとつひとつが自分の知識となっており、すべての経験がありがたいことだったなぁと感じる。入局してしばらくすると電話が鳴ってもなかなか電話を取ろうとされない先輩がおられることに気づいたが、きっと何かの理由があって嫌なのだろうなと思いつつ、私は積極的に電話を取り続けた。失敗もたくさんあったが、若さも味方につけて失敗を重ねることで成長があったと実感している。
 そのうち、看護師や医師らからは、「もしもし薬剤師の〇〇さんはおられますか?」と私個人名を指名して質問してもらえるようになった。おそらく毎回の質問に対する回答の対応が良かったのかな、と自分では思っている。すぐに答えられない時は資料を取り寄せて直接医師に持って行ったこともあった。そこで初めて対面で話をし、薬剤師からの質問にも丁寧に答えてくださり、親しくなった医師もいた。業務中に他の職種の方々から質問があると、もちろん自分の仕事がどんどん増えていくが、その代わりに自分自身の知識も増えていったと今では振り返ることができる。どんな些細なことでも質問されると頼りにされていると実感し、その当時とてもやりがいを感じたことを覚えている。だから、絶対に自分で自分のことを「忙しい」と言い訳しないと心に決めていた。最初は薬剤科の共通電話での質問であったが、そのうち特別に院内PHSを持たされ、いろいろな方からダイレクトコールを受けるようになり信頼関係が高まった。私にとっては、電話に出ることをためらうことは残念なことに思える。失敗しても、叱られても、それは必ず将来の自分の成長につながるのに、その機会を自分から得ようとしないのは残念だと思う。
 患者さんに処方薬(特に抗がん剤や医療用麻薬)の説明をしてほしい、という電話もよくあった。当時はちょうど院外処方箋が普及し始めたころで、院外薬局との連携もこれからスタートという時期だったので、薬は院外の薬局で受け取るが、薬の説明は病院内の顔の見える薬剤師にお願いをされることが多くあった。本来病院薬剤師がする仕事ではないのかもしれないが、ボランティア精神を発揮し、診察室まで出向いて服薬指導をしたものだ。この経験が、別の病院で構築した「診察前薬剤師面談」のシステム作りの基礎となったと思うし、すべてのことが医師、看護師や他の医療従事者、さらには患者さんとの信頼があったからこそ、何のトラブルもなくスムーズにできたと感じる。たとえ顔が見えない電話であっても、いつも丁寧に応対することでおのずと信頼が増すし、次に顔を合わせたときにすぐに理解しあえるという良好なコミュニケーションにつながる。業種間で壁を作らず医療スタッフがお互いに信頼し、協力し合うことが、結果として患者のために繋がっていると感じる。今の若い薬剤師さんたちは、どのように思って電話応対されているのかな?ぜひ積極さを忘れないでほしい。

回顧録13 ひとそれぞれの思いがある

 ある若い女性が乳がんで入院されてきた。まだインターネットなどは十分に普及していない時だったが、その患者は自分の症状や医師の診断、使っている薬などから自分の病気についていろいろな本を調べておられたようだ。患者は自分の病気はある抗体を持っているひとにだけ効果があるとされていることを新聞で知り、その検査をしてほしいが医師に言うのをためらっておられた。当時そのことは何も知らなかった私は、薬剤師として患者のところに通いつつ、年齢が近いこともあってたわいもない世間話もして仲良くなっていた。
 ある日、その患者は少し元気のないような表情をされていた。気にはなったがこちらから質問することに戸惑っていた私はいつもの服薬説明などを済ませて病室を出ようとした。そのとき「ちょっとM先生、お話聞いてもらえませんか?」と言われたので、内心「何かな?」という思いと「また薬剤部長に叱られるのかな。。」といういつもの不安とが入り混じったが、迷うことなく振り返ってベッド横の椅子に座って目線を合わせた。「実は私の病気が治る新薬がでるそうで、そのためには実際に使用できるかどうか検査が必要みたいなんだけど、お医者さんには私なんかが治療のことを言うと失礼になりそうなのでMさんに聞いてほしいと思って」とのこと。案の定、自分ではもう止められないおせっかいの血が体中を駆け回り「わかりました。一度主治医と相談してみるね」とその足で医局に向かった。医師は快く受け入れてくださり、さっそく検査をすることになった。
 しかしながら残念なことにこの患者さんは薬が効くという抗体を持っておられずその薬の投与を行うことはできなかった。医師から正式に結果が伝えられたあと、私からも患者さんに話をして「思い」に耳を傾けた。残念がってはおられたが、自分の病気のことを自分でしっかりと考え、精一杯の努力をして治療法を探したので悔いはないとのことだった。私は黙って話を聞いていた。それしかしなかった、というか、それしかしたくなかったというのが正直かもしれない。
 相手の思いを全部聞いてあげること、患者さんが言いづらいことを言える「空気」を作ることが医療者として「ひと」としての基本だと思う。科学の進歩とともに、画像とか検査値とかの情報への追求が進歩することはすばらしいと思うが、ひとそれぞれの思いはそれぞれのひとに直接接してみないとわからない。人間関係が疎になりがちな時代に、ひとそれぞれの思いに耳を傾けることを特に若い薬剤師さんには期待したいと思う。

回顧録12 看護師さんにつきまとう薬剤師

 がん疼痛でくるぶしが痛いと訴えている患者さんがおられた。薬剤科からはフェンタニルパッチが調剤され、その当時は3日に一回、担当看護師さんが貼り替えに行っておられるとのことだった。おせっかいな私は「待って!」と看護師さんに尋ねて貼り替える日を聞き出した。私の勢いは止まらず、その日に看護師さんに同行させていただくことをお願いし、主治医にも了解を得て同行できることになった。
 その場で薬剤師の私ができることは何かを考えた。フェンタニルパッチは医療用麻薬なので、患者さんには「医療用麻薬だけど正しく使ったらきちんと効果が出ますから安心してくださいね」、看護師さんには「医療用麻薬なので、使用後はすべて回収しないといけません。回収の時には「パタッ」と薬剤面を内側に二つ折りしてもらうと手にも付着しないので安心ですよ」などと説明した。が、ありきたりの内容ではある。
 患者さんからいろいろなお話を聞くことは薬剤師がおこなっても問題ないはずなので、その患者さんに「この薬はどうですか?痛みは治まりましたか?」と看護師さんとともに話しかけた。患者さんは「そやねん、薬剤師さんからは『この薬は安心して使ってくださいね』と言ってもらえたし、看護師さんも薬剤師さんから聞いたとかで、貼る前にあったかいタオルで足を拭いてきれいにしてくれやはってん、ほんまに嬉しかったわ、あんたらが来てくれたらお世辞じゃなくてよー効くねん」とのことだった。患者さんにも看護師さんにもお役に立てたのかな、とこっそり喜びのポーズをとった。
 おかげで看護師さんたちに薬剤師が同行することを気に入ってもらえたので、看護師さんの「貼替日カレンダー」に「Mさん同行」とメモを付け足してもらえるようになり、看護師さんからの連絡を受けるたびにわくわく横揺れしながら邪魔にならないように看護師さんにつきまとって病棟に上がった。あたりまえのことをしているだけなのに喜んでもらえる、と思う一方で、病棟で患者さんと話すことが苦手な薬剤師さんもいることも気になる。適材適所でよいかなとは思うが、私は「十分な会話」をしてこそ相手の本当の気持ちがわかるものだと信じている。25年ほど前のこと。
 この思いがのちに、ある病院での「外来化学療法での薬剤師診察前面談システムの新規構築」につながることになり、また今の私が患者報告アウトカム(PRO)に関心を持つきっかけになっていく。

回顧録11 おせっかいな親切

あるがん患者さんで、足がかなり腫れてしまってひとりでは歩けない入院患者さんがいた。ふだんはベッドで過ごしているので不便はあるものの何とか日々の生活を送られていた。毎日その患者さんの様子を見に行っていたが、ある日「実は相談があるの・・・」と話し始められた。「どうしたんですか?」とベッドの横にあった丸椅子に座って、ゆっくり話を聞こうと耳を傾けた。脳裏には「またMが帰ってこない・・・」と怒り出しそうな薬剤科長が浮かんだが・・・
 その患者さんが言われるには、近々娘さんの結婚式があるそうで、ぜひ出席したいのだがこの状態では無理かな、という悩みだった。結婚式は近くのホテルで催されるそうだが、娘さんは仕事で遠方に住んでおられて面倒をかけたくないし、でも何とか出席したいけど相談できる家族が近くにいないし・・・。
 それを聴いた私は、ひとまずは病気のことではなくて一安心だったのだが、おせっかいな性分が湧き出してきて「何とかしてあげたい」と考えた。ひとりでは何もできないし、まずはその患者さんの看護をしている看護師さんを見つけて相談した。その看護師さんもおせっかいな方で「じゃ、その日には車いすを用意してあげよう」と意見が一致した。ただ、今でこそ介護施設や介護用品を扱う会社があって車いすならすぐにでも借りれる世の中であるが、当時はどこに電話したらよいかもよくわからなかった。まずは病棟の師長に尋ねて、車いすを貸してくれそうな業者さんを探して手配した。病棟の看護師だけでなく、担当医師も協力してくださった。その患者さんに「大丈夫ですよ、結婚式に参列できるように私たちが何とかします」とあらかじめ伝えると大喜びしてくださって、娘さんは前日に患者さんの礼服(ドレス)を持ってこられた。
 当日朝、車いすが到着し、タクシーで結婚式に向かわれた。病気であることも忘れたかのような満面の笑みが印象的だった。夕方になって戻ってこられて「どうでした?」と聞くと、「よかった、ほんまに良かった。あんたらにも感謝せんなあかんな。ここの病院の建物は古くてぼろいけど(ん?)、あんたらの気持ちはピッカピカの一流や。あんた薬剤師さんやな、ほんであんたは看護師さんやな。ええなー、これ「チーム医療」と呼ぶんでしょ?」
 ちょっと違うのかなと思いつつ、私たちも気持ちだけはMDアンダーソンがんセンターには負けないぞ、と心弾んだひとときだった。おせっかいだったのか親切だったのか、それは第三者が決めることかな。どちらでもいい、思ったとおりにやるだけだと思った。若手のころのお話。

回顧録10 緊急電話が緊急と思ってもらえなかったお話

私がまだ若手薬剤師だったころ、緊急にある薬剤◇◇が必要になった患者さんがおられた。医師、看護師たちが忙しくされている中で薬剤師の私も何かできないかなとそわそわしていると、ある医師から「◇◇ が足りないかもしれない、念のため至急持って来てもらうように〇〇病院に電話で依頼して!」との声がかかった。「えっ、私?」と思いながらも周りを見るとみんな忙しそうなので「よし、電話しよう!」と決心し、その医師の許可を得た上で電話した。
 「もしもし、△△病院のMと申します。こちらの病院で◇◇を必要とされる患者がおられます。緊急でお持ちいただけますでしょうか?」。落ち着かないと・・・と深呼吸した私は、こういうときは一回ではっきり正しく伝わらないといけないので、丁寧に、正確に、落ち着いて説明した。先方は「了解です」と電話を切られたので「よかった、これで一安心」と 到着を待った。
 それにしても到着が遅い。「おかしいな、緊急でお願いしたから赤色灯を点灯してサイレンを鳴らして来てもらえるはずなのに、サイレンの音が聞こえない」とそわそわしながら待った。ようやく到着し「緊急で依頼したのですが・・・」と配達の方に伝えるが、「??そうでしたかあ?」との回答。まずは◇◇を使用する準備を急いだ。結果として治療は◇◇を必要とすることなく無事終了した。
 「でも、なぜ私は至急といったのにふつうの車だったの?」「私の電話が何か足りなかったのかな?」と落ち込んでいると、側にいた医師は「Mさんの話し方はおっとりし過ぎていて緊迫感が伝わらないんじゃない?」、他の薬剤師も「Mさんっていつも体でリズムを取っているかのようにおっとり話すよね、♩=80くらいかな?」「そうなのかなあ、こんな風に育てられて今から変わるのも無理だし・・・」。でもたしかにテキパキと話すひとはかっこいいなと思う時がある。まあいいか、自分は自分、誰かの役に立ったらいいんだし!と、いつも前向きな私はその日の仕事を終えた。
 今では医療コミュニケーション学という学問があるが、その当時はなく、自分流に電話対応などスキルアップしていたものだ。本来そうやって失敗を繰り返していろいろな経験の上に技能や態度が上達していくものだと思う。若手の頃の話。

回顧録9 TDMで薬剤師の仕事が変化した

病院薬剤師として働いていたころ、当時はまだ薬物血中濃度モニタリング(TDM)業務に薬剤師が関与することはほとんどなく、いくつかの薬剤で血中濃度を確認するために採血するのが一般的だった。そのころ、ある国内製薬企業から「TDMデータ解析ソフトウェア」が病院等に無償配布され、コンピュータの扱いには不慣れな私ではあったが、データの入力とかの設定を順番に進めるだけで血中濃度推移の予測値がグラフにシミュレートされるのをみて感動したことを鮮明に覚えている。母集団パラメータとか、ベイジアン法とか、解析のウラにはいろいろな難しいことがあることはわかるが、その内容まで理解することは無理な私でも、必要な数値を入力するだけで予測結果が出ることがうれしく、その結果を持って医師に投与量や投与方法の変更など提案できることにも仕事の喜びを感じた。
 説明を聞いてくれた医師にも、血中濃度の予測シミュレーションが視覚的に得られることに関心を持ってもらえて「これはいけるな(みんなを巻き込めるな)!」と思った。当時この薬剤の濃度測定がめんどうで、試薬を混ぜたり特別な想定装置を必要としたりと困難なこともあったが、他の職種の方々とのコミュニケーションが大好きな私は、TDM のための採血のタイミングとかも勉強し、看護師や濃度測定をしてくださる先生達も仲間に巻き込んで依頼した。その一例がある。当時、ある高齢の患者さんが、ある菌が除菌できないと退院しても施設に入所させてもらえない、と申し出られた。医療者にとっては一患者の治療の問題かもしれないが、この患者さんにとってみれば余生をどのように過ごせるかという重大な問題である。TDM 対象の薬剤を使った治療なので、おせっかいな私は「何とかしてあげたい」と思って職種を超えて一所懸命に治療の支援をしたことを思い出す。20年以上も前のこと。
 薬剤師だから TDM 業務をするとか、職種で業務を縦割りする必要は全くないと思う。「患者中心の医療」、今では当然のことで大学の講義でも触れられるが、実は今に始まったことではなく、もしかしたら過去の医療者たちの気持ちがひとつになっていなかっただけのことではないかと、今振り返ると思ったりもする。医療は進歩し続けている。私たち薬剤師の考え方ももっともっと進歩するべきなんだろうな、と思う。

回顧録8 患者さんから研究データをいただくことの本当の意味

私はかつて臨床系教員として薬学部大学生の臨床薬剤師教育に従事する一方で、病院や薬局と連携した患者中心の医療に貢献するための臨床研究にも取り組んでいた。今でこそ、臨床研究に関する倫理規定なども整備され薬剤師が臨床研究に取り組もうとする体制が充実しつつあるが、私が若手薬剤師だったころはまだまだ現場の薬剤師が研究するなどと考える人は少なかった。「研究ってどんなんだろう?」とわからないままにも、患者さんからいろいろな情報をいただいて、それをまとめたら次の患者さんに役立つのかな、と漠然と考えていた。
 ある日、医師と病棟回診中に医師から患者さんに「今度、この薬剤師さんがある学会で発表するねんで。こう見えても頑張っているやろ」とお話をされた。患者さんから「そうなんか、立派やな。私のこと(この患者さんから得られるデータのことと察した)なんでも使ってもらってええで」と言ってくださった。素直に嬉しく「ありがとうございます」と笑顔で答えるた。目の前の患者さんと、さらに将来の患者さんの役に立つ研究がしたい、という思いと自信が芽生えた。
 インフォームド・コンセントという言葉がある。「ムンテラ」と私たちが言う治療時の説明のときだけでなく、臨床研究で患者さんのデータを使わせていただく場合にも何らかの形でインフォームド・コンセントが必要になる。例えば治療後の事後にカルテ調査を行うなどの後ろ向き研究の場合「オプトアウト」と称される、個別の患者さんに同意を得ることはしなくてよいがホームページなどで周知徹底すること、でデータの利用が許可されることがある。もちろん個人情報保護は同意の有無に関係なく徹底して遵守すべきものであり、こういった既定は重要である。
 臨床研究って、倫理規定を遵守するだけで本当に患者の意思を尊重したことになるのだろうか。ホームページを閲覧しないままの患者さんもいるはずで、しかし全員から同意を得ることは難しいことなので規定は正しい。しかしその背景には、患者さんひとりひとりが個人のデータを活用することに、意思表明はしていなくてもきっと同意してくださっているという前提があるはず。臨床研究を実施するものは、そう信じて、「良心 (conscience)」をしっかりと持って、このことを心に留め患者の気持ちを推し量ることが大切だと思うし、そういう考えを持った人たちの背中を追いかけたい。自分の成果を増やすだけの臨床研究は研究ではないと強く思う。若い時に病院薬剤師をしていて本当によかった。

回顧録7 コワオモテ患者さんとのコミュニケーション

今日もいつものように病棟に出向くと薬剤師や看護師がそわそわしている。「どーしたの?」と尋ねると「〇〇〇号室の患者さんね、すごくコワオモテで『こんな検査したくない』と不満な様子で困っているの・・・」とのことで、誰もが説明に出向くのをためらっているよう様子。その場の空気からここは私に「行ってきて・・」ということかなと察して、何でも前向きな私は「じゃ、私が行ってくるわ」と出向いた。半分恐る恐る、でも半分は堂々と病室のドアを開けてみた。たしかにコワオモテだ。
(私)「〇〇さん、こんにちは。薬剤師の○○です。今お時間いいですか?」(患者)「ん?」(私)「今回は大腸の検査をするために事前に服用するお薬の説明にきました。」(患者)「なんや!」(私)「薬の説明です。」(患者)「どうしたんや(と言いつつだんだんと穏やかな雰囲気に)」・・
 ここがチャンスとばかり、世間話を交えながら検査で使う薬の説明を始めた。この患者さん、実際に話してみると普通に相手にしてくださり、今回ははじめての入院ということで少し落ち着かない様子が感じられた。こちらが気後れすることなく話を進めると少し心を開いてくださったのか、たくさん話されるようになった。薬が嫌いだそうだが「病気を治してまた仕事をしたいですよね」と説得するとようやく理解してくださった。人は見かけによらないとよくいうが、そのとおりだと思う。逆に温厚そうでも厳格な性格の方もいる。人間いろいろ、患者さんもいろいろ。
 その後この患者さんとも親しくなり毎日様子を見に行くようになると、私のことを「まっちゃん」と呼んでくださるようになった。女性の私には少し違和感のある呼称だが、距離が近づいた証拠としてありがたいお言葉だった。退院される日も挨拶にいくと「まっちゃん、また外来でな!」と言ってくださった。
 これからの薬剤師は医療コミュニケーションが必要と言われるが、本当の医療コミュニケーションって何なんだろうと考えることがある。会話をする、説明をする、もちろんそれも必要だけど、他人同士でもどこか「気持ちのつながり、信頼感」をつくることが一番大切だと思う。そのためには相手の話をきちんと聴くことから始めようと心がけている。頭で考えるよりまず行動、そうするとどんな患者さんでも信頼してくださるはず。そんなことを教えてもらえたよい経験だったと今でも思う。20年、もっと前になる。

回顧録6 10年前の患者さんからお礼を言われる

私には姉がいる。私と同じく薬剤師。ある日姉の勤務する薬局にひとりのご年配の男性が来られて「〇〇病院にいたよね。その時はお世話になりました。入院中はすごく親切に面倒を見てくれたことを覚えているよ。あのときは本当にうれしかったよ。また会えるなんて!」と話しかけられた。ところが姉は覚えがなく、きっと妹(わたしのこと)が担当していた患者さんだなぁと察知し、「いえいえ、・・」と話して和やかな数分を過ごした。
 先日姉に会った時にこの話を聞き、きっと△さんのことだなぁと思い出した。そう言えば抗がん剤投与の副作用で口内炎ができて痛みで食事もとれずに困っておられたので、外科医師に相談し、痛み止めの入った含嗽液を調製したことを思い出した。当時は入院患者さんを40名程度担当していたが、どの患者さんも区別することなく何か不安なことや困っていることがないかを毎日観察していた。
 若かったころの私は怖いもの知らずだったのか、生まれながらの性分なのか、どんな患者さんとも話すのが大好きで、看護師からは「看護師免許も取得すればいいのに・・」と言われたりもし、薬剤師の仕事の枠を超えて医療人として患者と接していたような気がする。そのうちに医師や看護師も私のことを信頼してくれるようになった。患者からの訴えをどうしても今日中に医師に直接口頭で伝えたいときは、その医師の仕事が終わる夜遅くまで(手術後まで)待つことがしばしばあった。そういうことが続くと医師からは「手術室に電話をしてくれていいよ」、とか「いつでもPHS(院内用携帯電話)を鳴らしていいよ」など言われるようになり、心の広い医師に感謝感謝!であった。今でも私の行動はひとえに「患者さんひとりひとりの役に立ちたい、薬剤師だけで無理なら医師に仲間になってもらって!」という強い気持ちだった。帰宅が遅くなるのを待っていてくれた夫にも今さらながら感謝したい。
 ところで、10数年ぶりの患者さんはなぜ姉にお礼を言ってくれたのだろう・・・、実は姉と私はふたごで瓜二つ、当時同じ病院に勤めていたので間違えられたのかな・・、薬剤師として当たり前のことをしたまで、と思うのに、それを覚えてもらっていて10数年後にお礼を言ってもらえるなんて、医療人冥利に尽きる。

回顧録5 病院薬剤師が初めて病棟に出向く

 いわゆる100点業務と呼ばれる「入院調剤基本料」が1988年に創設されたのを機に、病院薬剤師は臨床現場に赴くことになった。どこの施設でも最初は手探り状態であったと思う。私の働いていた病院では1990年代の後半になって病棟に薬剤師が出向くことになった。まずは外科病棟から薬剤師が行くことになったのだが、先陣をきって「誰が、いつ、病棟にあがるの?」、ということが薬剤科で議論となった。ルーチン業務にプラスして入院患者の服薬指導を行うので、外来患者の調剤業務が落ち着き始める15時以降に病棟に行くことが決まり、なんと当時新人薬剤師であった私が病棟にあがる最初の薬剤師となった。
 今と違って、ナースステーションはオープンカウンターではなく、いわゆる「詰所」であった。初めて病棟に行った日は緊張と不安で胸が張り裂けそうだったことを今も鮮明に覚えている(当時20代だったからかな・・・)。「失礼します、薬剤師のMです。〇〇さん、△△さんにお薬の説明に行きたいのですが、よろしいですか?」と元気よく言った。看護師から「はい、お願いします」とか「◇◇さんは配薬なので薬はこちらで預かりますね」という感じで、患者の病状について把握している看護師(今思うと当時薬剤師は患者の病状を把握しているとは言い難かったのが残念)に了解を得てから、患者さんに服薬説明を行った。最初のうちは、患者からも薬剤師という職種がわからずに怪訝そうに思われることもあったが、白衣の天使のように「これから〇〇さんを担当させていただく薬剤師のMです。よろしくお願いします」と胸を張って挨拶をすると、患者は「よろしくお願いします」と挨拶をしてくれ、中には握手をして「頼むわな」と言われる方もいて対人の仕事に対する苦労以上に喜びもあることを実感した。「この患者のために薬剤師として、人間として、何ができるかな」と私なりに常に自問自答していた頃の話である。
 当時は患者の病状などの情報を得るには紙カルテを見るしかなく、詰所にある書棚の紙カルテを見て患者の状態を確認するのが普通であった。いざカルテを見ようとしても医師が記録作業の最中の場合には記録が終わるまで待っていることも多かったが、病棟の看護師や医師に対して薬剤師の存在が浸透してくると、徐々に病棟業務はスムーズにできるようになった。どんなこともコツコツと信頼関係を構築することが大切だと思った。懐かしい思い出である。
 今では薬剤師は病棟に常駐し、様々な業務を多職種協働で行うことも当たり前になってきた。多くの施設でIT化が進んでいるが、昔と変わりないのは人を思いやる気持ちや寄り添う気持ちが重要であるということ。このような気持ちを持ってこそ、患者やその家族、医療従事者との信頼関係が構築できると確認している。何十年先もきっとそう。

回顧録4 病院薬剤師が看護師業務に同行する〜メトロニダゾール軟膏〜 

 20年以上前のある日、いつもどおり病棟で仕事をしていた私の PHS が鳴った。「おはようございます、Mです」と電話にでると「外科医の〇〇です。乳がん患者の◇◇さんにがん性悪臭を取り除く軟膏を処方したいんだけど、何がいいかな」と質問された。病棟薬剤師の私に医師からダイレクトに電話がかかる。医師や看護師など他の職種の人たちと話すことが大好きな私にとっては毎日のあたりまえの風景になっていた。「そうですね、院内製剤になりますがメトロニダゾール軟膏がよいと思います」と自分の考えを述べてみた。
 我が国においてがん性悪臭に適応がある医療用医薬品が存在しなかった時代には、嫌気性菌に抗菌スペクトルを有するメトロニダゾール(MTZ)を主成分とした外用剤を院内製剤として使用していた。海外においては、世界保健機構 (WHO) や米国臨床腫瘍学会 (ASCO) ガイドラインにおいてがん性悪臭に MTZ 外用剤が推奨されており、私自身も MTZ 軟膏を実際に病院内で調製していた。通常だったらこういった院内製剤である軟膏を調製して薬剤師の仕事は終わりなのかもしれない。しかし、この軟膏は本当にがん性悪臭に効果があるのかと興味があった私は、病棟看護師の処置に同行しようと思って申し出た。看護師に同行したいことを伝えると「いいよ」と返事が返ってきて、早速患者に処置する際に「行くよ」との声がかかった。
 実際の病棟現場に行くと患者の皮膚に腫瘍による皮膚潰瘍が形成されており、においや浸出液だけではなく患者の苦痛がひしひしと伝わってきた。看護師が軟膏をガーゼに塗って患部に貼っていく作業を見て心の中でふと思った。「軟膏をあらかじめガーゼに塗って薬剤部から払い出した方が患者のためにも看護師のためにもよりよいのではないか」。早速リント布に軟膏を塗って実際に試してもらうと、リント布が浸出液を吸収するだけでなく、処置の時間も短くなり患者の苦痛の時間も軽減された。その後はいつも時間があると MTZ 軟膏の処置を行う看護師に同行させてもらった。看護師と薬剤師が一緒に処置に出向く風景は当時は珍しいことだったかもしれないが、薬剤師が出向くことに対して患者から嫌がられたことは一度も無かった。
 医師、看護師、薬剤師やたくさんの職種のひとたちがそれぞれの視点で患者のことを考えて意見を出し合う、これぞチーム医療だと実感した。同時に、チーム医療にはお互いの信頼が大切だと思った。目的が皆同じだからこそひとつになれる、薬剤師だけが特別ではない。

回顧録3 病院薬剤師が看護師業務に同行する〜フェンタニル貼付剤〜 

 ある日「おはようございます」とスタッフステーションに薬剤師の私が入っていくと「Mさん、おはよう。今日、フェンタニル貼付剤を交換する患者は〇〇さんと◇◇さんの2人です。貼り替えるときに声かけますね。あと△△さんが薬のことで相談したいそうです。それと・・・」とその日のリーダー看護師が私に連絡事項を伝える。毎日のあたりまえの風景である。
 私がフェンタニル貼付剤を貼り替る看護師に同行しょうと思ったのには、いくつか理由がある。その当時医療用麻薬の貼付剤が初めて発売されたこともあり、貼付剤の使用方法について看護師に理解してもらうためがひとつ、もうひとつは貼付剤の交換は3日ごとだったので間違いのリスクを避けるため、という理由があった。しかし別の理由として、貼付剤を使用中の患者に対して痛みの程度や副作用の確認をするのは、貼り替え時が最適と考えたからである。その当時も薬剤師は患者の身体に触れることが許されておらず、貼付剤の使い方についての説明は薬剤師としては文書やパンフレットを使用するのが精いっぱいであった。そのため、実際に貼り替えるタイミングに看護師に同行することで(実際に貼り替えるのは看護師)、薬剤師として、繰り返して使用する場合の方法や副作用に関すること、注意点などについて説明しながら、患者の現在の痛みの状況を確認することが目的であった。看護師との同行を継続していくと、当初の目的に加えてさらに患者の身体を観察しながら貼る替える場所を選択し提案したり、患者の皮膚の状態を自然と詳しく確認するようになっていった。皮膚から吸収される貼付剤を使用する患者での痛みの程度や副作用の確認をするとき、患者の身体の状態を自分自身の目で観察することの重要性を感じた瞬間であった。ある患者から「薬剤師さんが毎回貼り替え時にきてもらっているから、いろいろ聞けて安心です」と言われたことが忘れられない。
 「薬の要るところには薬剤師が要る。実践してこそ患者から信頼される」そう思った。もう20年以上前になる。このあと、ぜひこのことを多くの人に知ってほしいという思いが生まれ、私自身の医療薬学研究のきっかけになっていく。

回顧録2 病院薬剤師が外来化学療法室で活躍する

 「おはようございます。体調はどうですか?」と外来化学療法室の受付で薬剤師の私が患者に声をかける。「おはよう、ボチボチや、今日もよろしくお願いするわ」と患者は明るく返事をして、いつもの決まった場所に腰をかける。すぐに看護師は聴診器、体温計を持って患者のところに行く。毎日のあたりまえの風景である。
 私が外来化学療法室の立ち上げから運用に携わることになったのは、外科病棟担当の薬剤師だったからである。その中で抗がん剤の無菌調製場所をセントラル(薬剤部内)にするか、サテライト(外来化学療法室)にするかについては、薬剤部内で大きく意見が分かれた。私の考えは最初からサテライトであった。その理由は3つ、1つめは在宅での副作用の有無や体調の変化に関する情報を薬剤師が直接患者自身から聞きとれるようにするため、2つめは抗がん剤の点滴を安全に施行するには、無菌調製から患者に最終投与するところまで薬剤師が関与すべきと考えたため、3つめは特に医療用麻薬の開始、追加や変更時に薬剤師の説明は必須であると考えたからである。
 そのために私は「薬剤師だから、〇〇はできない」といった考えではなく、医師や看護師と同じ医療従事者として患者に接することを心掛けた。外来化学療法室を開設後、次第に専任看護師から「Mさん、〇〇さんがお薬のことで相談があるそうよ、あとで話をきいてあげてね」と言われたり、医師からも「今日から〇〇さんに医療用麻薬を処方したのでMさんからも説明してあげてから帰ってもらってください」と言われることが日常診療でのごく当たり前のことになった。「これこそがチーム医療!」だと感じた。
 一日の外来化学療法室の業務が終了する前に、必ず薬剤師と看護師で来院された患者のバイタルや副作用グレード、次回確認すべき事項を確認しながら電子カルテに記録した。チームカンファレンスである。このとき使ったがん化学療法レジメン毎に作成した記録用紙は、当時私たちチームが創ったオリジナルであったことも忘れはしない。

回顧録1 病院薬剤師が回診に同行する 

 当時外科病棟の若手薬剤師であった私に「回診に行くよ」と外科医師が声をかける。「はーい」と返事をしてすぐに先生の後を追いかける。毎日のあたりまえの風景である。薬剤師の私が医師の回診に同行したいと思ったのは入院中の患者に服薬指導を始めたころからである。最初は患者に「処方されている薬剤を安全に間違いなく服用してもらいたい」という考えだけであったが、次第に患者背景や検査値を確認し薬剤選択が適切かどうか、さらには患者のために薬剤師として何ができるのかを自問自答し始めた。病状が刻々と変化する入院患者の状態を把握したい、また医師や看護師はどのように患者に向き合っているのかを肌で感じたいと思った。
 その思いを外科医師にぶつけてみた。答えは「いいよ、いつでもおいで」。「はい、ありがとうございます!」と即答。嬉しくてその週から早速回診に同行させてもらった。最初は看護師も怪訝そうな顔で私を見る。「よろしくお願いします。一緒に同行させてもらいます」と明るく一礼する。回診に同行することで本当にいろんなことを学んだ。印象に残っているのは、ガーゼに付着している浸出液の色から「緑膿菌やな、わかるか」と私に話しかけてくれた医師のこと。「すごいな、これが臨床か」と感じた。回診同行歴も長くなると、回診中に患者が医師に訴える内容を横で聞いていた私に「どんな薬がいい?」と聞いてくださる場面も増えた。「これがチーム医療だ、私はその中の薬剤師」と感じてうれしくなった。